ナポレオンはホンマに天才やったんか?現代人に突き刺さる「賢さ」と「あほさ」の境界線
時代の英雄ナポレオン、その生き様から学ぶ
“人間の業”と、私ら現代人の鏡
フランス革命後の混乱期。激動のヨーロッパを舞台に、彗星のごとく現れた男――ナポレオン・ボナパルト。その名は歴史に刻まれ、英雄として称えられ、多くの戦場で伝説を作った存在として知られてますわな。
けどホンマのとこ、「ナポレオンは賢かったんか?それとも、ただのあほやったんか?」と問うたら、単純な話やおまへん。彼の人生をよう見ていくと、「賢さ」と「あほさ」は紙一重やということが見えてきますねん。そして、そこには私ら現代人にもつながる“人間の業”のようなもんが、浮かび上がってくるんでっせ。
賢い天才?ナポレオンの軍略と戦術の冴え
まずナポレオンの「賢さ」から見ていきましょか。彼は若くして頭角を現し、ピラミッドの影でマムルーク騎兵と戦ったエジプト遠征、イタリア戦役での機動力を活かした奇襲作戦、アウステルリッツの戦いでの電光石火の包囲戦術……そのどれを取っても、並みの軍人では太刀打ちできへん。
政治でもまた然り。民法典(ナポレオン法典)を整備し、現代の法治社会の礎を築いたことはまぎれもない事実。せやから一部では「天才」と呼ばれ、「改革者」と称賛されるんですな。
あほの極み?ロシア遠征に見る“過信”と“破滅”
せやけど、ナポレオンの栄光には大きな“落とし穴”がありまんねん。その代表格が、1812年のロシア遠征ですわ。
たかが「寒さやろ、なんとかなる」とたかをくくって、補給線ガタガタのまま60万人の兵を引き連れて突き進んだ結果、帰ってこれたのはわずか数万人。あの有名な「将軍は寒さやった」と言わしめた敗北ですわ。
賢い戦術家が、なぜここまでアホな判断をしてしもたんか? それは「過信」「慢心」「理想への執着」やと思いますねん。よう考えたら、このあたりの要素、現代のあちこちにも見られまっしゃろ?
賢さとあほさは裏表?英雄に見る“厨二病”の正体
つまりナポレオンは、「賢くてあほな男」やったんかもしれまへん。敵を出し抜く頭脳もありながら、自分の“無敵神話”に酔うてしまい、結局は失脚。エルバ島に追放され、帰還したと思ったら最終的にセントヘレナ島で孤独な死を迎える……。
けどな、不思議とその“あほさ”が、人々の記憶には「英雄伝説」として刻まれてるんですわ。「理想に突き進む姿勢」そのものが、人間としての“魅力”にもなっとるから不思議やねん。
地球温暖化ビーチのナポレオンヒットラー、アレキサンダー
ほんで、現代人はどや?冷房・暖房・戦争と資源争いの「賢いあほ」
さて、ナポレオンから現代に話を移しまして――今の私らはどうや?
確かに現代人は「賢い」と言われてます。電気を使いこなし、ITもAIもある。暑かったら冷房、寒かったら暖房。便利な暮らしを満喫してるわけやけど、ほんまにそれだけで“賢い”って言えるんやろか?
その裏で、石油や天然ガスをめぐる争い、環境破壊、気候変動による猛暑や洪水……みんな知ってる。知ってるけど、「今日は猛暑やなぁ、しゃあないか」と済ませてまう私ら。ほんでまた、来年も同じこと言うてる。これって、ホンマは“賢いあほ”ちゃうんか?
ヒトラーもアレキサンダーも同じ穴のムジナ
ナポレオンだけやない。アレキサンダー大王も、ヒトラーも、世界を手にしようとした“英雄”たちは皆、同じように「賢いあほ」になってしもた。
結局、知識も力も持った人間が、ほんまに賢い判断をできるとは限らんのですわ。逆に言えば、過信と理想に飲まれた瞬間、人は賢くても「あほ」になる。
ワイらはどうなる?「あほにならん賢さ」を求めて
そんなこんなで、ナポレオンの話はただの昔話やあらへん。彼の生き様は、「賢く生きるってなんやろ?」と考えさせてくれる一つの鏡やと思いますねん。
情報は山ほどあって、選択肢もたくさんある今の時代。「知らんかった」では済まへん。でも「知ってても、動けへん」自分――それって、もしかしたらナポレオンよりもたちが悪い「あほ」かもしれまへんで。
賢さとあほの境界線を歩む現代人、「あいつらどうするつもりなんや?」と悩む3人。
そんな皮肉と反省を込めて、今日も鏡を見つめながらつぶやくんです。「ほんで、ワイはどっちや?賢いんか、あほなんか?」と。
文責:サニー爺(よう見たら、あほなワイ)
2025/07/11