侍・単位・漢字の不思議:侍が教えてくれた「インチ」の話

昔のサムライの知恵、まさかの単位につながる?

こんにちは、「脳内ワンダーランド」のサニー爺やで。

今日はちょっと変わった話をしよう思てな。子どもの頃に親父から教えてもろた「サムライのフエは一インチ」っちゅう言葉が、ずっと頭から離れへんねん。それがな、実は「壽(ことぶき)」っちゅう漢字を覚えるための教えやったんや。

まず「壽」いう字、よう見るとゴチャゴチャして難しそうやけど、「士(サムライ)」「寸(単位のインチ)」と「フエ(笛の部品の一部)」で出来てるっちゅうのが、昔の人のユニークな覚え方やったんや。

ほんでな、親父が「これはサムライのフエは一インチや、忘れるなよ」って、教えてくれてん。

子どもやった私にはピンとこんかったけど、今になってその言葉の深さがわかるようになってん。というのも、「寸」は昔から日本で使われてきた長さの単位で、「一寸(いっすん)」ってのが、今でいう約3.03cm。それが英語で言う「インチ」によう似てるんや。

 

「インチ」の漢字表記は?なんで「吋」や「寸」なん?

英語の「inch(インチ)」は、本来ラテン語で「一つの十二分の一の足(foot)」って意味やけど、日本に伝わってきたとき、「吋」や「寸」といった漢字が当てられたんや。これは、昔から中国や日本で使われとった単位「寸」に対応してるんやろな。

ほんで、「寸」いう漢字には“ちょっとした長さ”っちゅう意味がある。昔の日本家屋の設計図なんかでも、「尺」「寸」「分」って使うやろ?それぐらい、単位って日本文化に深く根づいてるもんやねん。

 

生活にめっちゃ関係ある「インチ」

ほな、「インチ」って実際の生活でどんなとこに使われてるんか言うたら、まずテレビの大きさ。32インチとか55インチとか言うけど、これも「インチ」やん?ほんでスマホの画面サイズ、タブレット、パソコン、スピーカーの口径、果ては釘のサイズまで、実はみんなインチで表されること多いんやで。

せやから、「インチ」って外来のもんやと思って軽く見たらアカン。しっかり日本文化にも根付いてるし、「寸」とリンクしとるんやと思うと、ちょっと見方変わるやろ?

 

漢字も単位も、文化の一部やで

せやからな、もし今後なんかを測るとき、「あ、このインチって“寸”に通じるんやなぁ」と思ってくれたらうれしいわ。そして、「壽」っちゅう難しい漢字を見たとき、「サムライのフエは一インチ」って思い出してくれたら、もっと楽しく感じられると思う。

文化っちゅうのは、教科書で学ぶだけやのうて、日常の中に息づいてるもんや。だからこそ、そういう「気づき」があるだけで、ちょっとした毎日が面白うなるもんやで。

次回、テレビ買うときでもええし、尺や寸の話が出たときでもええ。ぜひサムライの知恵、思い出してな!

 

サムライの教え、じいちゃんから親父へ、そしてワタシへ

ワタシの親父はな子供の頃、その父親〈ワタシの祖父〉はお前は昔ながらの武士の家の子や言うて、ほんまに厳しかったんや。親父の親、つまりワタシの祖父さんは、なんと慶応生まれ。ワタシが生まれた頃にはもうこの世にはおらんかったけど、仏間にあった大きな額の中で、着物を着てピシッと座ってる姿絵をいっつも見とった。

ほんでその祖父いうんが、いかにも頑固で一本気な人やったらしくて、親父はそりゃあもう厳しく育てられたらしいわ。

例えばな、親父がまだ幼い頃、ある日の食事で沢庵を三切れお皿に取ったら、祖父は声出す前にピシッと箸を飛ばしてきたんやて。そしてこう言うたんや:

「三切れは“身を切る”や。武士の子がそんな縁起の悪い取り方するな!」

…とまあ、そんな風に細かいとこまで律してはったんやな。ワタシにはちょっと信じられへんような話やけど、親父は真剣な顔して語ってた。今思えば、それだけ祖父が“武士の心”ちゅうもんを大事にしてた証やと思うんやわ。

そんでな、その親父がワタシに教えてくれた「壽」の覚え方が、「サムライのフエは一インチ」っちゅうあれや。最初は変な語呂合わせやと思うたけど、歳重ねてからやっとわかったんよ。それはただの言葉遊びやなくて、武士の家に生まれた誇りと、日本の文化を受け継ぐ意識をワタシに託してくれとったんやなって。

 

最後に:漢字も単位も文化も、ぜんぶ繋がってる

せやからな、「インチ」って聞いたとき、「あれ?それって“寸”やんな?」って思うようになったし、「壽」の字を見るたびに、祖父さんの姿と、親への厳しさ、そしてその中にあった深い愛情が、ふわっと胸によみがえってくるんや。

ワタシの親父は祖父と真逆で厳しく𠮟り飛ばす躾け方ではなく諭すような躾け方だった。親父から厳しく叱られたことは一度も記憶にあらへん。

文化っちゅうのは、教科書に載ってるだけやなくて、こうして家族の中で、日常の中で伝わっていくもんやと思う。

サムライが使った「寸」、それが「インチ」になり、今の私らの暮らしにまだ残ってる。ほんでそれを「壽」っちゅう難しい字の中に込めて覚えるっちゅうのは、ほんまに面白い話やと思わへん?

これを読んだあんたが、ちょっとでも「漢字」や「単位」ってもんを身近に感じてくれたら、ワタシはそれだけで嬉しいわ。
人生って、時々こうやって昔を振り返りながら、また一歩、前に進んでいくもんやからな。

 


2025/6/30

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